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11/15/2011

「命がけの愛情」

このブログには今までは自分の書いた文章以外は載せたことはないが、最近、もと教え子の若い教師からもらったメールがあまりにも嬉しい内容だったので、初めて自分以外による文章を以下に転載させてもらう:

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たくさんの授業を見てきました。その授業の数は教員歴の割りには多い方だと思っています。

最近見た「良い」と思う授業は、完全文法訳読の授業でした。昔ながらの、コテコテの授業です。ただ、「命がけの愛情」がそこには見えました。教師の強さが見えました。

オールイングリッシュの授業や、グルグルを利用した授業。発音指導をする授業。そういう授業も増えてきましたが、全然心に届きません。「生徒を伸ばしてやる!」という強い思いを感じなかったからです。

教師って、数学でも体育でも家庭科でも、その分野で「成長させる」ことが一番の仕事のはずです。ところが、目先のテクニックに目を奪われたり、オールイングリッシュに翻弄されたり、発音を教えれば良い授業だと勘違いしている。

「やり方」が大切で、その先の「結果」に目が行っていない。本当は「やり方」なんてどうでもよくて、「結果」の方が大事だと思うのです。

そのために必要なのは、「命がけの愛情」。

「命がけの愛情」が一番大事だと思うのです。何が何でも生徒を伸ばしてやる!という気持ち。それさえあれば、文法教えて、発音教えて、使わせて、ダメだしして、できるまで繰り返す。できたら「マルっ!」と心から言う。そして次に行く。

きっとそれだけですよね?いつか先生が「教員は5年たったら、むやみやたらに研究会に行くべきではない。」とおっしゃった意味が5年目の今、やっとわかりはじめました。

もちろん、文法訳読を肯定したり、発音指導を否定するものではありません。ただ、「指導方法の議論より大事なことってあるんじゃないですか?」と本当に思ってしまいます。

自分もそんな教員にならないようにしたいです。心からそう思います。

もう何年も前に靜先生が書かれた「命がけの愛情」という表現。何百と書かれたであろう文章のたった一つの表現。いい表現に出会えたと心から感謝しています。たくさんの授業を見せていただいて、自分の核が「命がけの愛情」であることに気づきました。


精進します。


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That is so very true. I am proud to have you as one of my "disciples," baby!


Zuke