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4/07/2012

自己表現よりタコ表現

春爛漫。新学期が始まって新しい出会いにときめいていることと思います。

さてよく「自己表現」させることがありますね。私もこれまでいろいろなクラスで英語で自分の意見を書かせる実践をしてきました。(自己表現、という大げさな表現は、どこかがおかしいと思うので使ったことはありませんが。)

Reading in Action の本文に関連して意見を100語くらい書かせたり、心技体の指定した本文について100~200語くらい意見を書かせたり、でした。

提出されたら目を通し、赤を入れました。力がやや弱い学生なら、訂正表現を赤で書き込み、自力で気付きそうな学生なら下線のみつけたり、「意味わからん」と書いたり、です。

(その際大事なのは、訂正表現を教えてもらったら学生が「なるほど、それなら次からは使おう」と思うレベルの表現、つまりその学生のレベル+1(いわば、i + 1 でなく、o(utput) + 1) の表現を教える、ということです)

典型的で全体でシェアしたいミスなら自分にわかるような記号をつけておき、あとでまとめてPCにうって、授業前に to be corrected という件名とともに、メール送付し、訂正を考えさせ、次の授業では、訂正セッションをしました。

全員立たせて始め、スクリーンにうつした誤文(作者名あり)に対して、訂正方法を挙手して発表させ、OKなら座らせ、最後まで残った学生には、その時々で適当になにかやらせる(最近練習していた歌を1コーラス歌わせる、とか、なにかの英語芸とか)、という感じでした。

学期最後には、それまで自分が提出した作文の修正版をまとめて提出させました。

以上のような「自己表現」は、これはこれである程度の手応えはあったのですが、限界というか非効率さも感じました。それは、訂正表現は教えますが、あくまでベースがその学生が手持ちの表現のなかだけでの勝負になるので、ある程度になるとあとは堂々巡りというか、同じレベルで足踏みを続けるようなことになる、という感覚です。

一方、自分の意見を書く「自己表現」にはなじないようなfactual な授業内容の場合は、自分で英文を考えさせるのではなく、あらかじめこちらが考えた英文を与えてしまい、それを暗記してくることを求める、という実践も昨年から始めました。

例えば、達人マニュアルに関連してテスティング(妥当性がどうとか、信頼性がどうとか)の話とか、音声学の音声事象に関して、とかです。これらの場合は、項目弁別力とは何か、とか、aspirationとはなにかについて100語くらいの英文を予め与えて覚えさせました。

これはその科目のコンテンツを理解させながら、その英語表現も同時に覚えるということですが、自分ではなかなか良い企画じゃないかと感じました。何人かの学生にも好評だったようです。

それで、上の2つの実践を考え併せてみた、今のところの結論ですが、今年は、「自己表現」の比率を減らし、あらかじめ与えておいた英文を覚えて書かせるいわば「他己表現」の比率を増やそうと思っています。

たとえば「心技体」ですが、今までは英文を書かせてくるのは自分の意見だけだったのですが、今年からは、心技体にもとづいて私(靜)の意見を英語で書いたもの(というのは、要は心技体の要約になりますね。心技体は全編、私の独断ですから(^^))を与えておいて、とにかくそれを覚えてこさせる、ほうをメインにしたい、ということです。

こうすることで、ベースがすくなくとも私の英語表現のレベルでの話になるので、学生が自力で考えた英文を部分的に添削するよりも、結果的に表現も増えるのではないかな、と考えています。

表現さえ増えれば、あとは、もし靜の意見が気に入らないと思えば、あとから自分で書きたければ、I totally disagree with
the idea that [靜の意見] とやれば、立派な自己表現になります。

もちろん、ゼロから自分の意見を書くという体験も大切なことなのですが、要はバランスで、それだけでは今自分がいるレベルから上に行くのは難しいのではないでしょうか。

自分自身のことを考えてみても、いつも自分で一からスピーチを書くだけでなく、時にはネイティブが書いた優れたスピーチを暗唱したほうが、表現力は増えるのではないか、という話です。表現さえ自分の手持ちのストックに残っていけば、次に本当の自分の自己表現をする時に使えるわけですから。

中学高校生の場合であっても、2~3種類の 「ready-made自己表現」を教師があらかじめ書いておいてそのうちのひとつを選んで覚えさせる、などの形は可能だと思います。