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7/26/2015

教員の価値はどれだけいじめるか

20年前の同僚達と確認したこと:

我々の仕事の成果は数値にはなかなか表せないねぇ

卒業生からどれだけ連絡があるか、がひとつのバロメータじゃないかねぇ

そのために在学中はできる限りいじめようねぇ

生徒・学生との30センチ50センチの価値観がない輩が、肩書とか地位を(代償機制として)求めるねぇ

7/23/2015

生徒指導と教科指導は違うのか。違わない。

大学生なので「学生」指導と言いたいところだが、そういう表現はあまりないので、中高用語の生徒指導と書いた。教科指導も中高用語だが、要は授業という意味である。


【自分】が勤務する大学のキャンパスの喫煙が禁じられている場所で喫煙している【自分の】大学の学生を見て見ぬふりする教員は、そのまま、【自分】が担当してる授業で、【自分】の授業を聞いていない学生、寝ている学生を見て見ぬふりをする、職務怠慢教員であるのだろう、と私は思う。

学生の教室外の behavior を指導できない教員が、学生の学習・学修のほうだけはバリバリ効果的に指導できる、などということがあり得るのだろうか。 

あり得ないと思う。目の前の相手にどのようにコミットするかという点では同じだからである。


7/21/2015

おっかない

ここまでストレートに書いてもらうと、ストレートに嬉しい。


僕は、一年生の時に、英語学科の先輩に、靜先生の授業の様子を聞いていました。そして、その時から、この授業を受けることを、とても楽しみにしていました。どの先輩も、口をそろえて、靜先生の授業は、とても大変だと、言っていましたが、本当にその通りだった、と思います。靜先生は、本当に厳しく、おっかない先生です。しかし、同時に、やさしく、生徒に対する姿勢も、とても真摯なもので、授業を受ける側の生徒としても、その身が引き締まりました。本当に、僕が一年生の時に、期待していた通りの、とても楽しい授業でした。後期も、精一杯楽しんでいきます。

シラミは潰せばいなくなる。いなくならないのは潰す気がないから。

授業の関係で、ある特定の曜日の特定の時間帯(昼休み)にキャンパスの特定の場所を通る。

それは、キャンパス内でちょっと奥まっており、昨年以前はタバコを吸う学生で溢れていたので、大学として禁煙とし、横に密閉型の喫煙ボックス(プレハブ)を設けた場所である。

その場所を通る時に数名の学生が食後の一服を楽しんでいる現場に出くわす、ということが前期を通じて2~3度あったので、その都度、ここは禁煙だから、喫煙するならボックスに入るように言ってきた。いつも彼らは素直に従う。

その成果か、最近は外で喫煙している学生を見かけることはほぼなくなり、感心なことに皆ボックスに入って吸うようになった。(この場所はうるさい奴が通るから別の場所に行こう、となった要素もあるのかもしれないが。)

が、きょう通りかかると、いままさに一人の学生が、タバコを一本口にくわえた瞬間ではないか! なんという美味しいタイミング。

彼がライターを右手に持ったか持たないかの瞬間、

「ここでは吸わないよね!?」

と声かけ。

ギョ、この人誰?のとまどいが、0.01秒ほどあった後、

「は、はい。」

とタバコはしまわれた。

このような喫煙指導をして、反抗的態度を取られたことはかつて一度もない。

そこはキャンパスであって、こちらが教員もしくは職員だということはひと目で分かるのであるから、その状況で反抗するようなレベルの学生はうちにはひとりもいないのである。

我々大人がきちんとシラミを潰す気になれば、シラミはいなくなる。

シラミがいなくならないのは大人がシラミ潰しをしないからである。

シラミ潰しをしない理由は、シラミを潰すのが怖いのか、潰す気がないのか、あるいはその両方だ、ろう。

いずれにしても私には理解できない。







7/17/2015

松屋と松屋

本日、焼き鳥屋のマスターに聞いた話:

松屋デパートの重役がタクシーに乗り、

「松屋デパートまで。」

と言ったら、タクシー運転手が、

「松屋ですね?」

と確認した。

その瞬間、件の重役は、

「牛丼屋じゃないよ!」

とムッとして訂正した、という。

ポイントは、「マツヤ」のアクセント。

牛丼の「松屋」は、マ↑ツ↓ヤ。

対して、「松屋デパート」は、「松屋」、「デパート」が独立している時は、マ↑ツ↓ヤ デ↑パ↓アト だ(と少なくとも私は思うのだ)が、「松屋デパート」になると、連読変調が働き、 マツヤデ↑パ↓アト となるのである。

つまりその重役は、マツヤ をフラットに発音されないと気に入らなかった、というわけである。

逆に私の場合は、シズカ は、シ↓ズカ なので、「先生」とか「さん」がついても、シ↓ズカ と言ってもらいたいのだが、60%くらいの割合で、連読変調が起こり、シズカセ↑ンセ↓イ と、シズカ部分をフラットに言われてしまい、気持ち悪い。


7/06/2015

「歌う授業」の感想

(KHcoderを利用しています)


抽出語 出現回数
授業 167
発音 148
思う 90
英語 78
歌う 68
洋楽 68
47
受ける 46
楽しい 43
自分 37
35
先生 35
聴く 33
歌詞 30
28
聞く 25
学ぶ 23
知る 21
歌える 19
感じる 18
好き 18
17
17
毎回 17
教育 16
最初 16
単語 16
難しい 16
意識 14
受講 14
14
リズム 13
一番 13
楽しむ 13
履修 13
13
違い 12
音節 12
苦手 12
少し 12
正しい 12
入門 12
学べる 11
勉強 11
理解 11
良い 11
意味 10
違う 10
確認 10
覚える 10

7/04/2015

L/R のミニマルペアが最も多く、全体の25%を占める

だから、最も大切な区別であると言えるのだ。

An analysis of the most frequent 10,000 words in spoken English (BNC) revealed that of all the minimal pairs involving a consonant pair, r-l pairs were the largest type in proportion, accounting for 24.8%, followed by t-d pairs (Gilner & Morales, 2010).

>> Gilner, L. & Morales, F. (2010). Functional load: Transcription and analysis of the 10,000 most frequent words in spoken English. The Buckingham Journal of Language and Linguistics, 3, pp. 135-162.

GILNER, Leah; MORALES, Frank. FUNCTIONAL LOAD: TRANSCRIPTION AND ANALYSIS OF THE 10,000 MOST FREQUENT WORDS IN SPOKEN ENGLISH. The Buckingham Journal of Language and Linguistics, [S.l.], v. 3, p. 135-162, sep. 2010. ISSN 19579821. Available at: <http://www.bjll.org/index.php/bjll/article/view/27/47>. doi:http://dx.doi.org/10.5750/bjll.v3i0.27.

アクティブ・スキッピング

この間の授業では、文アクセントを体感するために、恒例のスキップグルグルを実施した。英語のいわゆる強い音節が、強いだけでなくピッチが高く、長さも長い、ということを身体で表現するにはスキップが最適なのである。

どうして大学2年生がひとりずつ、男子も女子も、みんなの前でスキップをするか(恥ずかしがらずにやるか、いやたぶん恥ずかしいと思っているが、とりあえずやるか)というと、それはまず最初に55歳のおじさんが自分でスキップしながら英文を唱えてみせるからである。

教授がピョンピョン跳ねて、「さあやってみよ」と言われたら、やらないわけにはいくまい。

うん、これはじゅうぶんいろんな意味で アクティブ でしょ。

次は縄跳びを計画中。

7/02/2015

こだわっていること: 高い声を出せ

たまたま立ち読みしたビジネスハウツー本の一節に、「ドレミファソラシド」の「ファ」のピッチでしゃべれ、というのがあった。営業用には高過ぎるくらいのピッチでしゃべれ、という意味である。

我が意を得たり。

飲食店従業員の「いらっしゃいませ~」「ありがとうございました~」のトーンが低ければ、偉そうで感じが悪い(と普通の日本人は感じる)。

教員も当然接客業である。よって営業用のトーンで(英語を)しゃべる職業的な義務があるのである。もちろん終始ピッチを高くという意味ではなく、最低ピッチと最高ピッチの差を大きくせよ、という意味である。それが日本語英語から脱却する道でもある。

最近、教員養成授業でこだわっていることの1つに、学生が低い声でぼそぼそ音読するのを絶対に許さない、というのがある。

暗いボソボソ学生には、「いらっしゃいませ~」を言わせたり、お笑い芸人がステージに出てくる時の最初の一声「は~い、ど~も~!」をやらせてみたり、ということをしている。

自分の本来の話し方にかかわらず、低いトーンでぼそぼそ暗くしゃべって生徒を暗くする権利は教師にはないのだから。

4月に「は~い、ど~も~!」トレーニングをやらせた彼は、教育実習では「思い切ってはじけたパフォーマンスをした」とのことで、指導の先生からも生徒からも好評を得て、笑顔で帰って来た。


足らないもの:「アクティブ・ティーチング」

「アクティブ・ラーニング」などの前に、教師がしっかりとガンガン詰め込んで教える、ぎりぎり学生を追い込んで教える、いわばアクティブ・ティーチング、アグレッシブ・ティーチングがもっともっと必要だ。

やるもやらぬも学生任せのやわな教員ばかり多すぎるのではないだろうか。

7/01/2015

うっとおしいもの:「アクティブ・ラーニング」

私の個人としての意見であるが、最近、猫も杓子も「アクティブ・ラーニング」「アクティブ・ラーニング」と言い立てるのが、鬱陶しくて仕方がない。

「授業のなかでどのくらいの割合がアクティブ・ラーニングを採用していますか」といったアンケートがよくあるが、まるでそれ以外は「アクティブでないラーニングだ」と決めつける枠組みを肯定させられたうえで回答するようで大変に不本意である。

learning は passive より active であるのがいいのに決まっているが、バズワードになった 「アクティブ・ラーニング」はいただけない。

グループワークだのディベートだのフィールドワークだのプレゼンテーションだのを指すことが多いようだが、そういう目に見える「派手な」活動だけが、学習として active であるはずがない。

本を読みながらいろいろ考えるのも大変に 脳内active な活動であるし、アイディアを練って黙ってPCに向かってエッセイを書くのも大変に 脳内active な活動である。

すくなくともツール学習である英語学習、語学学習に、いまの「アクティブ・ラーニング騒ぎ」は、いい迷惑である。なんといっても、教師主導の一斉授業が大切である。

見かけが teacher-fronted の一斉授業は passive で、学生が前に立ってなにかやっていれば active だ、とは全く思わない。