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3/06/2017

責任の先送りと過去戻しという無責任の連鎖

小学校の教員は、●●は中学校でやってもらえばいいや、中学校教員は●●は高校でやってもらえばいいや、高校教員は●●は大学でやってもらえばいいや、大学教員は●●はどこでやってもらえばいい??

あるいは、中1の担当者は、小学校で●●指導されていなかったから今からじゃ遅いし、中2の担当者は、中1で●●指導されてなかったからいまさら無理でしょ、高1の担当者は、中学で指導されてなかったから急にやりかた変えて●●やっても戸惑うし、高2の担当者は、いままで5年間●●されてなかったから、いまさらおそいでしょ。。

こういう発想で、here and now の自分が責任をとらず、責任を未来へ未来へ、あるいは過去へ過去へ転嫁するという人がかなり多いように思われる。

発音にかぎらず、音声指導一般にそうなのでは。

いままで指導されていなかったら、自分に出会ったいまこの瞬間から自分が指導してやろう、この子の英語観を転換させてやろう、英語人生を変えてやろう、高校生で、あるいは大学生で「発音バージン」や「音読バージン」に出会えるなんて(まるで中学生の初学者を教えるようにワクワクするから)なんてラッキーなんだ!!くらい、なぜ思えないのか、不思議。

学期の途中でやり方変えたら戸惑うから云々、という言い訳もよくきくが、根は一緒かと思われる。