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10/13/2017

倒錯的発想としての名誉毀損認識

自分の授業をYouTubeで公開する。それは不特定多数の閲覧者に自分をさらすということである。

閲覧者のみかたは必ず、様々だ。ポジティブなものもあればネガティブなものもある。

しかるに、ネガティブなコメントをネットにアップされると、「名誉毀損」だというのは、いかがなものか。

さまざまな見方やコメントの対象になるのが嫌ならば、そもそもネットに授業公開などすべきではないのではないか。

「いいね!」だけしかつけてはならない、とでも言うのだろうか。発想が幼くないか。

質が低いものは質が低いのである。

デンタルのTH音であるべきところで舌先が前歯についていないことが客観的な事実・真実であることの証明は容易い。接近音であるRであるべきところ、舌先が歯茎に接触してたたき音になっていることは、客観的な事実・真実であり、音響音声学的な手法を用いて証明される。

そして、そういう音をだす英語教員は、質が低い。私の考えでは、給与をもらって教壇にたち、生徒の前で英語を口から出すための、必要条件を満たしていない。

法律論はともかく、そもそも質の低いものに「名誉」があってはいけない。評判は悪くなければいけない。その評判が悪くないならば、消費者が騙されている。

そんな生産者・製造者の「名誉」云々よりも、現実に、質の低い商品を毎日それと知らずに消費させられている生徒たちの、まともな商品を享受する権利を回復することこそが、喫緊の課題であり、「公共の利害に関する」事柄である。

なんといっても税金を用いた公教育の現場なのである。

その商品の質の低さを公に指摘することは、かつて『暮しの手帖』がおこなっていた、有害な、危険な、欠陥のある商品の公表と、本質的に同じことであり、「もっぱら公益を図る目的」のためになされていることである。

ネットに公開された公立学校の授業は公務員の公務執行の様子である。公務員であるならば、その公務執行の様子について国民から質の低さを指摘されたならば、謙虚に受け止め、改善することを考えよ。

質の低さをありがたくも指摘していただいた商品の質はその後、改善されたのだろうか?

向いている方向が違う。自分の生徒のほうを向け。生徒のためのベター、ベストを考え るべきだ。

自分のメンツや保身しか考えられないなら、もうそれは「教師」ではない。